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高松高等裁判所 昭和40年(ム)7号 判決 1969年4月22日

主文

再審原告の請求を棄却する。

再審訴訟費用は再審原告の負担とする。

事実

再審原告訴訟代理人は、「高松高等裁判所が同庁昭和三五年(ネ)第四三号所有権移転登記手続請求控訴事件について昭和三七年一〇月一九日言渡した判決を取消す。同事件控訴人(再審被告)の控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審、再審とも再審被告の負担とする」との判決を求め、再審被告訴訟代理人は、本案前の申立として、「本件再審の訴はこれを却下する。再審訴訟費用は再審原告の負担とする」旨の判決を求め、本案についての申立として、主文と同旨の判決を求めた。

再審原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

「(一) 再審被告を控訴人とし、再審原告を被控訴人とする高松高等裁判所昭和三五年(ネ)第四三号所有権移転登記手続請求控訴事件について、同裁判所は昭和三七年一〇月一九日「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し別紙目録記載の不動産につき所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」旨の判決を言渡した。右判決に対し再審原告は最高裁判所に上告したが、昭和四〇年一〇月一五日上告棄却の判決が言渡され、前記の控訴判決は確定した。

(二) しかし、右控訴判決の証拠となつた甲第一号証(昭和二二年八月一一日付の藤田小次六より再審被告に対する売渡証)および同第二号証(同日付の藤田小次六作成名義の代金一万五、〇〇〇円の領収証書)は、その日付の当時に作成されたものではなく、昭和三〇年頃に作成されたものであり、且つ証人藤田小次六の証言は偽証であることが判明したので、再審原告は右藤田小次六を偽証罪の容疑で昭和三八年九月一一日高松地方検察庁検察官に告訴したところ、同庁検察官は偽証の嫌疑を認めながら同年一一月六日付を以て同人を起訴猶予処分に付し、同三九年三月九日付の書面で告訴人にその旨告知した。

(三) よつて再審原告は民事訴訟法第四二〇条第一項第六号第七号に基づいて本訴に及んだ。」

再審被告訴訟代理人は、本案前の陳述および請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。

「(一) 本件は民事訴訟法第四二〇条第一項第六号第七号に該当しない訴である。即ち、問題の事件の上告審たる最高裁判所の判決が「原判決によれば、原審は、本件土地が被上告人(註、再審被告)の所有に属することを判断するにあたつて、右藤田小次六の証言あるいは所論甲第五号証の六を証拠としているものではないことが明らかである」と判示しているとおり、再審原告のいう証言および書証は、再審を申立てている控訴判決の証拠となつていないのである。従つて、仮に右各証拠が虚偽であつたとしても再審理由とはならない。また高松地方検察庁観音寺支部が証人藤田小次六に対して起訴猶予処分をしたことは「確定判決………ヲ得ルコト能ハザルトキ」に該当しない(大審院大正四年一一月一九日判決参照)。ことに本件の場合は、右処分は余りにも粗雑な捜査と貧弱な証拠に基づいてなされたのであるから、右の場合に該当しない。よつて右各証拠が虚偽であるかどうかに関係なく本件の訴は不適法として却下さるべきである。

(二) 仮に右の主張が成り立たないとしても、再審原告主張の甲第一、第二号証が虚偽の文書であることおよび証人藤田小次六の証言が偽証であることは否認する。

(三) 仮に右各証拠が虚偽であり、再審原告主張のごとく、甲第一、第二号証が昭和三〇年頃に作成されたものであるとしても、再審被告は右の昭和三〇年頃に訴外藤田小次六より別紙目録記載の不動産の所有権を取得したことになり、判決は結果において正当に帰するのである。けだし、本件不動産がもと訴外藤田俊三(右の藤田小次六の先代で昭和一六年四月四日死亡し、同日藤田小次六において家督相続)の所有であつたことは当事者間に争なく、再審原告は、「本件不動産は昭和一六年三月二日右藤田俊三より訴外藤田弾六に贈与され(同年六月二三日に同年三月一六日付売買を登記原因として所有権移転登記)、昭和二二年九月一〇日右藤田弾六より再審原告へ売渡された(同年九月一九日に同年同月一〇日売買を原因として所有権移転登記)」と主張していたものであるところ、前記控訴判決は、右の藤田俊三と藤田弾六間の贈与の事実自体を認めなかつたものであるからである(即ち、藤田弾六が本件不動産の所有者でなかつた以上、仮に再審原告が同人より本件不動産を買受けたとしても、所有権を取得できない)。

(四) もつとも再審原告は、前記控訴審の審理においては、本件不動産に関して昭和二九年一一月二五日に西条簡易裁判所で成立した調停を援用し、その調停の結果、本件不動産は藤田弾六の所有であることに確定されたもののように主張している。しかし、西条簡易裁判所はそもそもその事件について管轄権を有していなかつたばかりか、わざわざ管轄裁判所たる新居浜簡易裁判所へ出張して調停をした違法がある。のみならず、調停条項によると、調停当事者でもなく調停に立会もしておらない訴外藤田恒世に対し義務を負担せしめたり、調停当事者ではあるが当日出頭しておらない訴外藤田知行や再審原告に訴訟費用を負担せしめたりしていて、調停の体裁をなしておらず、右調停は全体として無効である。仮にそうでないとしても、調停条項にいう「その余の本件請求の放棄」とは藤田小次六が本件不動産の所有権を放棄したことを意味するものではなく、また本件不動産についての藤田弾六の所有権が確認されたことを意味するものでもない。藤田小次六は右調停によつて訴訟の取下をしたつもりでいたのにすぎないばかりか、そもそも藤田小次六の藤田弾六に対する請求は、所有権移転登記の抹消登記手続の請求であつて所有権自体についての請求でなかつたから、仮に請求の放棄があつたことになるとしても、放棄された権利は右の抹消登記手続請求権以外の権利ではあり得ない。」

証拠(省略)

理由

本訴請求原因(一)の事実は、高松高等裁判所昭和三五年(ネ)第四三号所有権移転登記手続請求控訴事件(原審松山地方裁判所西条支部昭和三四年(ワ)第三〇号)の訴訟記録および最高裁判所昭和三八年(オ)第一二四号右上告事件の訴訟記録によつて明らかである。

そこでまず、再審被告の本案前の抗弁について判断する。

再審被告は、再審原告のいう書証および証人藤田小次六の証言は、再審を求めている前記控訴審判決の証拠となつていないという。しかし、前記の訴訟記録中に存する控訴審判決謄本によれば、「それで、本件土地は、前記相続により前記訴外藤田小次六の所有に帰したというべきであり、その後昭和二二年八月一一日控訴人が右藤田小次六から本件土地所有権を買受けて、これを取得したことは、当審証人藤田小次六の供述(第一回)により成立の認められる甲第一、二号証及び右供述により明らかであり、右認定に反する証拠はない」と記載されている。そして、右訴訟記録によると、右判決にいう甲第一号証は、昭和二二年八月一一日付の藤田小次六作成名義の新居郡多喜浜村大字黒島中町一四三番地の土地外六筆の土地(本件係争の不動産)の売渡証、甲第二号証は右同日付の右同人名義の右売買の代金一万五、〇〇〇円の領収証書であること、当審証人藤田小次六の供述(第一回)とは、昭和三五年五月二五日の口頭弁論期日における、同証人の「昭和二二年八月一一日右土地を代金一万五、〇〇〇円で控訴人(註、再審被告)に売渡したことは相違なく、甲第一、二号証はその日に作成された売渡証、代金領収証書である」という趣旨の証言であることが認められ、右の書証、証言が控訴判決の証拠となつていることは明白である。なるほど再審被告主張のように、上告審判決においては、「原審は、本件土地が被上告人の所有に属することを判断するにあたつて、右藤田小次六の証言あるいは所論甲第五号証の六を証拠としているものではないことが明らかである」と判示しているけれども、その少し前の文章をも参照し且つ上告代理人の上告理由と対比してみれば、上告審判決のいう藤田小次六の証言とは、藤田小次六の証言の中で昭和二九年一一月二五日成立した調停の趣旨に関する部分(上告人が乙第一、二号証((調停調書))の趣旨に反すると攻撃している部分)であることが明らかであり、また前記訴訟記録によると、甲第五号証の六は甲第二号証そのものではなくて、取寄記録中に存する書証の写であること(取寄記録中の各証言調書が証書として提出されたが、その調書の中にあらわれる乙第一号証の二は甲第二号証のことであるので、その関連を明らかにするため、別にその乙第一号証の二の写が甲第五号証の六として提出された。本件不動産の藤田小次六より再審被告への譲渡の物証そのものとして提出されたのは、甲第二号証ならびに第一号証である)が明らかである。よつて再審被告の前記主張は採用できない。

次に成立に争のない新甲第三号証、同第四号証の一ないし四、証人楠原嘉影の証言によれば、再審原告は、昭和三八年九月一二日高松地方検察庁観音寺支部に対し、偽証罪の容疑で、藤田小次六を告訴したところ、同庁検察官は犯罪の嫌疑あることを認めながら、右藤田小次六の病状が重いこと等を理由とし、同年一一月六日付で起訴猶予の処分にし、昭和三九年三月九日頃告訴人である再審原告にその旨告知したことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして検察官が犯罪の嫌疑あることを認めながら起訴猶予処分にした場合の如きは、民事訴訟法第四二〇条第二項にいわゆる「罰スヘキ行為ニ付………証拠欠〓外ノ理由ニ因リ有罪ノ確定判決………ヲ得ルコト能ハサルトキ」に該当する。再審被告は、本件の場合はあまりにも粗雑な捜査と貧弱な証拠に基づいてした起訴猶予処分であるから、右法文にいう有罪の確定判決を得ること能わざる場合に該当しないと主張するけれども、一般に起訴猶予処分がなされた場合が右の有罪の確定判決を得ること能わざる場合に該当するとされる所以は、有罪の証拠が十分存在していて不起訴となつたからではなく、検察官が一旦起訴猶予の処分にした以上たやすく起訴は望み得ず従つて有罪の確定判決も得られないからであり、客観的にみて捜査が十全であつたかどうか、あるいは偽証の証拠が十分であつたかどうかは直接関係がない事柄であるから、再審被告の主張は失当である。しかのみならず、証人藤田素行の証言によると、右藤田小次六は起訴猶予の処分後間がない昭和三八年一二月一四日死亡したことが認められ、同人に対する有罪判決はこれを得ることができないことに確定したというべきであるから、本件の訴が適法であることは明らかである。

さて、そこで、控訴判決の証拠となつた甲第一、二号証が虚偽の日付を記載した文書であるかどうか、証人藤田小次六の前記証言が偽証であるかどうかについて検討する。

証人藤田素行の証言により成立を認め得る新甲第一号証の一、証人藤田素行、同近藤和節、同村上三郎の各証言により成立を認め得る同第二号証、成立に争のない同第四号証の四、証人藤田素行、同近藤和節、同村上三郎、同楠原嘉影、同藤田久江(第一、二回)の各証言を綜合すると、次のとおり認められる。

(一)  藤田小次六は、昭和三八年四月一九日頃訴外藤田素行(医師)の経営する観音寺市の富士病院で病気療養中であつたが、次のような内容の書面を自署し(新甲第一号証の一)、これを右藤田素行に渡した。

「別紙証書 昭和廿二年八月十一日付拙者ヨリ〓田シヅニ代金壱万五千円ニテ売却シタル新居郡多喜浜大字黒島中町143144145146147149150以上七筆ノ土地面積百八十九坪ハ事実ハ昭和三十年ニ売却シタルモノナルモ買主ノ要望ニヨリ前記昭和二十二年八月十一日付証書トシマシタ 右相違ゴザイマセン 昭和卅八年四月十九日 藤田小次六」

(二)  更に同人は、同年四月二八日右富士医院を訪れた訴外弁護士村上三郎の面前で、右新甲第一号証の一の書面が自己の意思に基づいた書面であることを認めたが、病気のため手がふるえて字を書くことが相当困難であつた。そこで右藤田素行の従兄にあたる訴外近藤和節が右新甲第一号証の一と全く同一内容を別の書面に代書し(ただし、表題として「証明書」と記載し、日附は「昭和卅八年四月廿八日」と記載)、読み聞かせたところ、小次六はこれを承認して署名指印した。村上弁護士は、そのあとへ、「右書面の趣旨は本人の真意に出たものであることを本人は認めた 右同日 立会人弁護士 村上三郎」と奥書して捺印した(新乙第二号証)。

(三)  高松地方検察庁観音寺支部検察官楠原嘉影が同年一〇月三日取調のため右富士医院へ出張し、病臥中の藤田小次六に対し、右新甲第二号証を示してこの内容は間違ないかと尋ねたところ、同人は相当衰弱していたが、その質問を肯定する態度を示し、細い声で相違がない旨の返事をした。なお小次六の声は聞きとりにくかつたので、平素同人の声を聞きつけている藤田素行が通訳するような形で返事を検察官に伝えた。右のような状態であつたから、検察官は調書の署名捺印をさせず、短時間の取調でひきあげた。

以上のとおり認めることができ、証人藤田久江(第一回)合田シヅヱの各証言中右認定に反する部分は信用し難く、ほかに右認定に反する証拠はない。

しかしながら、右新甲第一号証の一、同第二号証の記載内容および証人楠原嘉影、同藤田素行、同村上三郎、同近藤和節の各証言中藤田小次六の新甲第一号証の一、同第二号証の記載内容に関する供述部分(すなわち前認定のような小次六の法廷外での陳述)は、証人藤田久江(第一、二回)、同合田シズヱ、同高橋仲一、同近藤八介、同真鍋栄吉、同松本梅太郎の各証言および原審理(前記の高松高等裁判所昭和三五年(ネ)第四三号事件およびその前審たる松山地方裁判所西条支部昭和三四年(ワ)第三〇号事件の審理をいう)における証人高橋スガ子の証言、控訴本人尋問の結果に対比して、たやすく信用できない。むしろ、右の各証拠ならびに成立に争のない新甲第五号証の三、四、新乙第一三号証の一、二、同第一四号証、同第一五号証の一ないし三、証人藤田久江の証言(第一回)によつて成立を認め得る新乙第一号証、原審理における成立に争のない甲第八号証、証人藤田小次六の証言(昭和三四年七月一三日の証言)を綜合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  本件係争不動産中一四六番地および一五〇番地上には、もと(1)木造瓦葺二階建居宅一棟建坪下二二坪上六坪(2)木造瓦葺平家建物置一棟建坪三坪(3)木造瓦葺平家建雪隠一棟建坪三坪(4)木造瓦葺平家建座敷一棟建坪一二坪五合が存在し、訴外藤田俊三の所有するところであつたが、同人は大正一二年一月頃右(1)(2)(3)の建物を取こぼつて本宅のあつた新居浜市阿島へ移築し、(4)の建物を〓田軍平(再審被告の夫)に売渡し、その敷地については無償使用を認めた。右藤田俊三は昭和一六年四月四日死亡し、養子の藤田小次六が家督相続をしたが、藤田小次六は再審被告の求めにより、本件係争不動産全部を再審被告に売渡すこととしたが、前記の(1)(2)(3)の建物は登記簿上まだ右不動産上に所在することになつていたので、昭和二二年四月二三日「大正一二年一月二〇日取崩」を登記原因として右(1)(2)(3)の建物の建物表示抹消登記手続を経由した(原審理における甲第八号証)うえ、同年八月一一日再審被告に右不動産を売渡し、その証書として売渡証(原審理における甲第一号証、当再審訴訟では新乙第五号証)および金一万五、〇〇〇円の領収証書(原審理における甲第二号証、当再審訴訟では新乙第六号証)を作成した。当時藤田小次六は、訴外藤田弾六を相手方として、戦時民事特別調停の申立をしており(新乙第一五号証の一ないし三)、本件不動産その他もと藤田俊三の所有であつた不動産の所有権について係争中であつたので、右甲第一号証中に「但右宅地ノ登記手続ハ目下進行中ノ裁判事項決定ノ上ニ於テ行フ事トセルハ売買当事者ニ於テ双方合意ノ上己ニ決定済ミ」と記載した。

再審被告が取引を終えて自宅へ帰つたところへ訴外真鍋栄吉が訪れたので、家の敷地を買つてきたと述べ、右甲第一号証を同人に示した。その頃再審被告方に同居していた訴外高橋仲一同スガ子夫婦もその頃本件不動産の売買のことを聞き、右甲第一、二号証を見せられた。

(二)  昭和二二年八月一四日再審原告より訴外〓田行久(再審被告の子。〓田軍平より前記(4)の建物を相続)に対し、建物収去土地明渡の訴が西条簡易裁判所に提起せられ(同裁判所昭和二二年(ハ)第六号)、弁護士松本梅太郎は右〓田行久より事件を委任せられたが、同年秋頃同弁護士は右甲第一、二号証を再審被告より見せられ、本件不動産を藤田小次六より買受けている旨の説明を受けた。

(三)  昭和二四年一一月頃訴外近藤八介が自己所有山林を伐採した際、訴外馬越シズや再審被告との間に境界の争が生じたが、役場図面等を調べてみると、右近藤が再審被告の山林まで伐りこんでいることが判明し、伐採木の一部を再審被告に引渡すことと決めて事が落着した。その際再審被告は右近藤八介に対して山林を買受けている証拠として新乙第一号証(藤田小次六より再審被告への、多喜浜村大字黒島字梅木原六六〇番地山林一畝二五歩外五筆の土地の昭和二二年五月一四日付売渡証)を示したが、その際一緒に持参してきていた甲第一、二号証を見せ、本件係争不動産をも藤田小次六より買受けている旨説明した。

以上のとおり認めることができる。

更に、前示新甲第五号証の四、新乙第一四号証、同第一五号証の一ないし三、証人藤田久江(第一、二回)、同合田シヅヱ、同松本梅太郎、同藤田素行、同近藤和節の各証言、再審原、被告各本人尋問の結果、原審理における成立に争のない甲第九号証、証人藤田小次六の証言(昭和三五年五月二五日の証言)および弁論の全趣旨を綜合すると、藤田小次六が前記のような書面(新甲第一号証の一、同第二号証)を作成し、従前の証言を否定するような供述をするに至つた経過は、次のようなものであることが認められる。

藤田小次六は藤田権六の第三子で、権六の弟にあたる藤田俊三の養子となつたものである。権六の長男近藤〓郎は権六の妹の婚家先である近藤家を嗣ぎ、次男藤田弾六が権六の後継者となつた。藤田小次六は大学卒業後久しく大阪方面で学校の教員をしていたが、藤田弾六は権六死亡後藤田俊三の家で同居し、おおむね郷里で暮らしていたものである。

藤田俊三は相当な資産家であつたが、昭和一六年四月四日死亡したところ、弾六は、俊三の生前にその資産の大部分の贈与を受けていると主張し、長兄の近藤〓郎も右主張を支持したが、小次六はこれを認めず、兄弟の間で深刻な遺産争が生じることになつた。本件係争不動産も右遺産の一部で、再審原告は藤田弾六より買受けたと主張し、再審被告は藤田小次六より買受けたと主張しているものである。ところで前にもふれたように、昭和二二年八月一四日西条簡易裁判所に再審原告より〓田行久に対する建物収去土地明渡の訴訟が提起され、昭和三四年一月九日同裁判所で一審判決があり、昭和三五年一月一三日松山地方裁判所で二審判決があつた(同裁判所昭和三四年(レ)第二一号)が、いずれも再審原告の敗訴で、二審判決の理由によると、藤田俊三より藤田弾六への贈与の事実は認められない、従つて再審原告は本件不動産について所有権を有しない、というのであつた。右訴訟とは別に、再審被告は昭和三四年二月六日再審原告を相手どり、松山地方裁判所西条支部に所有権移転登記手続請求の訴を起こし(同支部昭和三四年(ワ)第三〇号)、同年一二月二八日一審判決、昭和三七年一〇月一九日高松高等裁判所で二審判決(昭和三五年(ネ)第四三号の判決。すなわち再審を申立てられている判決)があつたが、右二審判決では、やはり藤田俊三より藤田弾六への贈与は認められない、という判断が出て、再審被告の勝訴となつた(但し再審原告が上告したため未確定)。以上の訴訟において、藤田小次六は〓田行久および再審被告の側に立つて証言し、藤田弾六(ただし昭和三三年五月一五日死亡)やその妻藤田恒世、その子(三男)藤田素行は、再審原告の側に立つて証言したものである。

ところで、藤田小次六は、昭和三八年当時すでに七九才の老令で健康もすぐれず、経済的にも苦しい生活をしていた(子供には先立たれた)が、昭和三八年四月一六日前記の上告中の事件について示談をすすめるため高松市の自宅より新居浜市の再審被告の家へ出かけたが、その途中身体の容態が悪くなり、観音寺で下車して前記藤田素行の経営する富士医院で診察を受けたところ、腎硬化症、冠不全の症状を呈しており、即時入院をすることになつた。前記の新甲第一号証の一の書面は入院中の小次六が同月一九日素行に渡したものである。小次六には妻の藤田久江が附添つていたが、右書面を作成して素行に渡した時にはその場にいなかつた。

前記近藤〓郎の子近藤和節(小次六よりは甥にあたる)は、藤田素行より新甲第一号証の一の書面を見せられたが、事件に無関係な第三者に立会してもらつて後日問題のおきないような書面を作ることを提案し、同月二八日知合の弁護士村上三郎を伴つて富士医院へ行き、素行も居る前で、前記のようにして新甲第二号証の書面を作成した。なおその際には小次六の妻藤田久江が居合わせた。

小次六は同年五月一七日一たん右医院を退院して高松市の自宅へ戻つたが、六月五日再び右医院へ入院した。同月一二日再審原告は弁護士津島宗康を代理人として藤田小次六を偽証罪で告訴し、新証拠として右新甲第二号証を援用した。そして前記のように、同年一〇月三日富士医院で検察官が小次六を取調べたものであるが、当時同人は尿毒症を起こしており、病状は相当重かつた。同月九日右医院を退院したが、病気はその後回復せず、同年一二月一四日死亡した。なお小次六は素行に対し、治療費および食費を支払つていない。

以上のとおり認めることができ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実によると、藤田小次六は、甥とはいいながら永年にわたり抗争してきた藤田素行から逆に医療上経済上の保護を受ける身となり、同人の意をむかえるために、従前とは異なつた態度をとるに至つたもので、新甲第一号証の一、同第二号証の記載内容および前記楠原嘉影、同藤田素行、同村上三郎、同近藤和節の各証言中藤田小次六の新甲第一号証の一、同第二号証の記載内容に関する供述部分(すなわち小次六の法廷外の陳述)は真実に合したものではなく、小次六が法廷においてした証言こそ真実であつて、甲第一、二号証は、やはりその作成日附の頃作成されたものと認め得るところである。

もつとも、前示新甲第五号証の三、四、新乙第一四号証、成立に争のない新甲第五号証の一、二、五によると、前述の昭和二二年八月一四日西条簡易裁判所に再審原告より〓田行久に対し提起された建物収去、土地明渡請求の訴訟においては、被告(〓田行久)の訴訟代理人であつた弁護士松本梅太郎は、昭和三〇年三月に至るまで再審被告が本件不動産を買受けている事実を主張せず、本件甲第一、二号証を証拠として提出していないことが認められる。すなわち、右証拠によると、松本弁護士は、再審被告が本件不動産について所有権を有する旨を主張せず、むしろ地上権の抗弁を提出して争い、昭和二七年一〇月一八日には地上権存在確認の反訴をも提起し、昭和三〇年二月一七日の口頭弁論期日においては、地上権存在の事実を立証するためであるとして証人〓田シズ(静。本件再審被告)、本件土地の所有者が藤田小次六であることを立証するためであるとして証人藤田小次六、本件土地の所有権が藤田弾六に移つていない事実を立証するためであるとして証人合田シヅヱの各尋問を求めたが、同年三月一八日の口頭弁論期日において右証人〓田シズおよび藤田小次六に対し、本件甲第一、二号証の売渡証および領収証書を示して尋問し、尋問終了後、右売渡証および領収証書を乙第一号証の一、二として提出し、本件土地を被告が藤田小次六より買受けた事実を立証すると述べたことが認められるのであつて、右の段階に至るまで、甲第一、二号証が提出されなかつたことは不自然であるかの如く見えないでもない。しかし、前示新乙第一四号証、成立に争のない新甲第七号証の一、二(原審理では乙第一、二号証)、証人松本梅太郎の証言によつて成立を認め得る新乙第一〇、第一一号証、証人松本梅太郎の証言および再審被告本人尋問の結果を綜合すると、松本弁護士は事件受任後間もなく本件甲第一、二号証を見せられ、再審被告が藤田小次六より本件不動産を買受けていることを知つたのであるが、右不動産には藤田俊三より藤田弾六へ、弾六より再審原告へと順次所有権移転登記が経由されているばかりか、贈与証書と称する書証も存在していたので、同弁護士は、所有権の争をしていては立証が複雑困難となるのみならず果して勝訴できるかどうかも疑わしいと判断し、前記のごとく、〓田軍平が建物を買受けて以来ずつと敷地の無償使用が認められているので、地上権の抗弁によつて争うこととしたこと(建物買受の際金五〇〇円が支払われているが、内金二〇〇円は敷地利用の対価であり、期限永久、無地代の地上権が成立したと主張した)、ところで一方、藤田小次六は、別に藤田弾六、再審原告その他の者(弾六より不動産を買受けた者等)を相手どり、松山地方裁判所西条支部に、所有権移転登記抹消登記手続請求、所有権確認請求の訴訟を提起し(同支部昭和二三年(ワ)第一九号、昭和二四年(ワ)第一号)、本件不動産を含む五〇筆あまりの不動産についての藤田俊三より藤田弾六への贈与の不存在を主張し、登記名義の回復、所有権確認を請求していたこと、従つてもし右訴訟において藤田小次六が勝訴すれば再審被告は同人より容易に本件不動産の登記名義を取得できる関係にあつたので、この点からも松本弁護士は所有権の争を持ち出さなかつたこと、ところが右事件は、職権で西条簡易裁判所の調停に付せられるに至つた(同裁判所昭和二九年(ノ)第七号)が、調停の内容如何では〓田行久又は再審被告に影響があるので、松本弁護士は昭和二九年三月一八日藤田小次六に対し、本件不動産は〓田の方に関係するので他の不動産と別異の取扱とするよう頼み、調停委員にもその旨話しておいたが、同年一一月二五日藤田小次六と藤田弾六との間で調停が成立し、小次六は弾六より示談金の支払もしくはこれに代る山林の譲渡を受けて弾六に対するその余の請求を放棄する旨記載した調停調書が作成された。右弁護士は、本件不動産についてまで小次六の権利を放棄するような内容の調停が成立したことに不満であつたが、とにかくそのような調停ができた以上、再審被告が調停よりずつと以前に本件不動産を買受けているということを明白にしておく必要があると思料するに至り、甲第一、二号証を提出(当該訴訟では乙第一号証の一、二として提出)して、昭和二二年八月一一日の売買の事実を主張するに至つたこと、以上の事実が認められる。従つて、甲第一、二号証が昭和三〇年三月に至つて法廷に提出されたことを以て、さきの認定を左右することはできないのである。

更に、原審理における成立に争のない甲第一五号証の六(松山地方裁判所昭和三四年(レ)第二一号事件での証人伊藤清一の証言調書)および証人伊藤清一の証言によると、昭和二三年当時多喜浜村の農地委員長をしていた訴外伊藤清一は、同年の三月か四月頃、再審被告又は藤田小次六もしくは〓田トキから、本件係争不動産を農地買収にして再審被告に売渡してくれるよう依頼されたことが認められる(伊藤清一は甲第一五号証の六の調書では「再審被告又は藤田小次六から」依頼されたと証言し、原審理では「〓田トキから」依頼されたと証言している)が、証人松本梅太郎の証言および原審理における控訴本人の尋問結果を綜合すると、再審被告は本件不動産を買受けたものの藤田小次六と藤田弾六との間に争があつて登記名義を容易に取得することができず、本件不動産中に再審被告が耕作している部分があつたので、再審被告又はその母〓田トキもしくは藤田小次六から、農地買収の手続で再審被告の名義にすることはできないかと相談をかけたにすぎないものと認められる。従つて右の事実を以て再審被告が昭和二三年当時本件不動産を買受けておらなかつたことの証左とすることはできない。

ほかに前記の認定と相容れぬ証拠はない。

以上のとおりであつて、前記控訴判決の証拠となつた証人藤田小次六の証言は偽証ではなく、甲第一、二号証も虚偽の日付を記載した文書ではないというべきであるから、再審原告の本訴請求は失当であり、再審被告のその余の主張について判断するまでもなく排斥を免れない。

よつて、本訴請求を理由なしとして棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用の上、主文のとおり判決する。

別紙

目録

(一) 新居浜市多喜浜大字黒島字中町一四三番地

一、宅地一五坪(四九・五八平方メートル)

(二) 同所一四四番地

一、宅地一三坪(四二・九七平方メートル)

(三) 同所一四五番地

一、宅地一八坪(五九・五〇平方メートル)

(四) 同所一四六番地

一、宅地四七坪(一五五・三七平方メートル)

(五) 同所一四七番地

一、宅地一四坪(四六・二八平方メートル)

(六) 同所一四九番地

一、宅地四〇坪(一三二・二三平方メートル)

(七) 同所一五〇番地

一、宅地四二坪(一三八・八四平方メートル)

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